歩数は、
曲がる。
「1日10,000歩」は、1965年に日本のメーカーが「万歩計」というネーミングで売り出した数字に過ぎない。それから60年、エビデンスがやっと追いついた。歩数と寿命の関係は直線ではなく、曲がるカーブで、年齢ごとに「ヒジ」の位置が違う。本号は、その曲線の地形図を歩く。
“An early-morning walk is a blessing for the whole day.”
Lancet Public Health 2022年に出た Paluch AE のメタ解析は、北米・欧州・アジア・オセアニアの15のコホート研究を統合し、加速度計で測られた歩数と全死亡率の関係を、年齢層別に描いた。総人口は47,000人余り、追跡は中央値で7年。
結果のカーブは、世代をまたいで2つの教訓を残した。第1に、歩くこと自体は、ほぼすべての年齢層で死亡率を下げる。第2に、歩数と寿命の関係は直線ではなく、ある点を境にプラトー(横ばい)に入る。曲線の「ヒジ」は、若者と高齢者で別の場所にある。
I have met with but one or two persons in the course of my life who understood the art of Walking, that is, of taking walks—who had a genius, so to speak, for sauntering.
ソローはコンコードの森を毎日4時間歩いた。彼にとって歩数は数字ではなく、思考の作法だった。Paluch のカーブが描く「ヒジ」とは、おそらくこういうことだ。歩いた歩数より、歩こうとする日々の連続のほうが、寿命に効いている。
Paluch のカーブが示したのは、60歳未満では1日8,000〜10,000歩、60歳以上では6,000〜8,000歩で、全死亡率の低下がプラトーに達するという事実だった。それより少なければ追加の歩数は強く効き、それを越えると追加効果はほぼ消える。
若者と高齢者で「ヒジ」が違う理由は、運動強度の蓄積効率の違いに帰される。若い身体は少し多めに歩いた分も最後まで吸収するが、高齢の身体は早く頭打ちに入る。だからといって「高齢者は歩かなくていい」という話ではなく、最低限の量が低い場所にあるという意味である。
新宿から飯田橋まで、神田川沿いを早歩きする。橋の上で立ち止まると、川面に街灯が二重に映る。歩数計は今夜も7,000を指していて、それでもう、十分だった。
歩数曲線の特徴は、最初の数千歩で死亡率の急峻な低下が起き、ある点を境に追加効果が薄れていく形にある。経済学でいう「限界収益逓減」の典型で、ヒジの位置が10,000歩より少し低いところにあるということが、Paluch のメタ解析の中核的な発見だった。
つまり「10,000歩」というキャンペーンは、間違ってはいないが、最適でもない。多くの人にとっての本当の課題は「5,000歩から8,000歩に届かせる」ところにあって、「8,000歩から10,000歩に伸ばす」ところではない。曲線の急峻な部分に居る人こそ、追加の十分間が大きな差を生む。
“Solvitur ambulando — It is solved by walking.”
デスクワーカーの平均歩数は3,000〜5,000歩で、これだと多くの場合スイートスポットに届かない。けれど通勤、ランチタイム、夕食の買い物、3つの自然な動きを足すだけで、6,000〜8,000歩には届く。これに加えて夜の十分散歩を1回入れると、ほぼ全員がヒジの上側に入る。
歩数計の数字を上げる必要はない。むしろ、歩数は結果でしかなく、目的は「動かない時間の塊を生まない」ことにある。1日のうちに2時間以上座り続ける時間を作らない、それが歩数の自然な底上げを生む。
10,000歩は、1965年のキャッチコピーだった。Paluch が示したのは、その数字を捨てよということではなく、もっと低い場所にヒジがあるということだった。歩くという行為は、数字に還元される前から、もっと古い祝福である。今夜、もう一駅手前で降りる。たぶん、それで充分である。