卵を、
戻す。
1980年代のコレステロール仮説で、卵は40年の悪役を演じてきた。それが2020年、Drouin-Chartier J-P が BMJ に発表した215,000人の追跡で、健康成人の卵摂取(1日1個まで)と心血管疾患リスクのあいだに関連がないことが示された。卵は、ほぼ完全な栄養食品として、私たちの食卓に戻ってきていい。今号は、40年の誤解の解体史を読む。
“Errors of judgment are usually corrected slowly and reluctantly.”
Drouin-Chartier J-P らの BMJ 2020は、Nurses' Health Study I, II と Health Professionals Follow-up Study の合計215,618人を追跡し、卵摂取と心血管疾患・冠動脈疾患・脳卒中のリスクを解析した。1日1個までの卵摂取は、これらすべてのアウトカムと関連しなかった。
メタ解析パートでは、米国・欧州・中国・東南アジア・地中海地域のコホートを統合し、結論はほぼ同じだった。1日1個までは安全、1日2個まででも健康成人ではコレステロール上昇はわずか。1980年代の「卵は悪」は、ほぼ完全に誤りだったことが、40年遅れで確定した。
マギーの料理科学事典は、Ancel Keysの7カ国研究で卵が悪者にされた時代に刊行された。マギーは栄養疫学のブームに与せず、卵という食材そのものの構造的な完全さ──タンパク質の質、脂肪酸のバランス、ミネラル・ビタミンの密度──を淡々と記述し続けた。Drouin-Chartier 2020 が215,000人で示したのは、40年遅れの再評価だった。
1980年代のコレステロール仮説は、「食事のコレステロールが血漿コレステロールを上げ、それが心疾患を起こす」という直線的な物語だった。けれど健康成人の身体は、肝臓でのコレステロール合成を食事量に応じて自動調節する。食事性コレステロールが増えると、肝臓は合成を減らす。食事性が減ると、合成が増える。
この自動調節のおかげで、健康成人では食事性コレステロールが血漿コレステロールに与える影響は、思われていたよりずっと小さい。卵の悪役性は、この生理学的事実を考慮しなかった1980年代の単純化に立っていた。Drouin-Chartier の215,000人は、その単純化の限界を、もっとも長い時間軸で示した。
母の朝食は、白いご飯と半熟卵と味噌汁、と決まっていた。私は20年、半熟卵を恐れて生きた。Drouin-Chartier 2020を読んだ夜、母に電話した。「半熟卵、戻していいって」と言ったら、「あんた、40年遅いわよ」と笑われた。
卵の救出は、健康成人の話である。家族性高コレステロール血症(FH)、糖尿病、コントロール不良の脂質異常症の人では、食事性コレステロールが血漿コレステロールに与える影響は健康成人よりずっと大きい。これらの人々では、卵を含む食事性コレステロールの管理は、引き続き重要である。
また、卵を高頻度で食べる代わりに何を減らすか、という置き換えの観点も重要である。卵で野菜を置き換える、卵で全粒穀物を置き換える、そういう食事は栄養学的に偏りを生む。卵は救出されたが、卵中心の食事を推奨するわけではない、という当然の留保が、最後に残る。
“It is a capital mistake to theorize before one has data.”
卵は、約6gのタンパク質、5gの脂肪、ほぼゼロの糖質を、1つの殻に包んだ栄養設計上、便利な道具である。1日のタンパク質を20〜40g/食で配分するという目安に対して、朝食で卵を2個入れれば12g、それにヨーグルトを足せば22g、というふうに簡潔に積み上がる。
値段の安さも、設計上の利点になる。1個30円前後で6gのタンパク質。これは肉や魚と比べてコスパ最強の部類に入る。家計の上でも、栄養設計の上でも、卵は朝の食卓に戻していい。1日2個までは、健康成人にとって安全な目安である。
卵は、40年の悪役を演じきった。Drouin-Chartier の215,000人が示したのは、その演じ込みが誤配であったということ。今朝、半熟卵をご飯にのせる。母の食卓に、40年遅れで戻る。たぶん、それで充分である。