夜のお酒が、
奪っていくもの。朝に、それは残る。
1杯あれば寝つきは早くなる。これは経験のとおりだ。けれど眠りは、寝入る瞬間で終わらない。後半に何が起きているか。アルコールが取り去っているのは、記憶や感情の整理に関わる、もっとも繊細な層である。
Ebrahim(2013, Alcoholism: Clinical and Experimental Research)のシステマティックレビューによれば、就床前のアルコールは入眠潜時を短縮し、前半の徐波睡眠を一過性に増やす。鎮静作用は、寝つきを助ける方向に働く。ここまでなら、夜の1杯は擁護できそうに見える。
問題は、その効果が1晩のなかで持続しないことだ。代謝が進むにつれて中枢への作用は反転する。前半でつくられた深い眠りの貯金は、後半に向かって、利息のように引き出されていく。
深夜のダイナーに、4人の人物が黙って座っている。ガラスの内側の光は明るく、外の街は黒い。眠れない夜のために用意された場所が、世界にはたしかにある。お酒はその場所をやさしくする。けれど、朝のための時間を借りていることも、ホッパーの絵は静かに告げている。
Park(2015, Alcohol Clin Exp Res)など複数の睡眠脳波研究は、夜のアルコールが後半のREM睡眠を有意に減らし、中途覚醒を増やすことを示している。REMは記憶の整理や感情の処理に関わる時間帯であり、量だけでなく出現の位相も意味を持つ。
朝起きたときの「眠ったはずなのに疲れている」という感覚は、睡眠時間の問題ではないことが多い。後半の構造が崩れているのだ。何時間眠ったかではなく、どの層が削られたか。アルコールが奪うのは、もっとも回復に近い時間のほうである。
“彼が必要としていたのは、清潔で、明るい場所だった。”
完全な禁酒を前提にする必要はない。臨床で繰り返し勧められてきたのは、就寝の3時間前までに飲み終え、量は日本酒換算で1合程度に収めるという目安だ。代謝の半減期を考えれば、これでも充分に保守的とは言えない。けれど、現実のなかで守れる線は、たぶんこのあたりにある。
寝酒の習慣を、別の儀式に置き換える。湯を張る、本を開く、明かりを落とす。ベッドに入る前に、夜を区切る所作があればよい。アルコールが担っていた「区切り」の役割を、もっと静かなものに渡していく。
ホッパーが描いた深夜のダイナーは、眠れない夜に必要な場所が確かにあることを教えてくれる。けれど、夜の1杯が朝の自分から借りているものは、レム睡眠という、もっとも返済しにくい通貨である。3時間前に終える、という約束だけ、今夜の自分と結んでみる。